せごどん

せごどんは海外の回線のせいで画質が悪いこともあり(脚本も、、)最近は見なくなっていたが、先崎彰容「未完の西郷隆盛」を読み始めている。5章はそれぞれ日本の思想家を取り上げ、日本思想史のような形で西郷論を追う形式となっており、筆者にとって思い入れのある南洲を直接語るには至らないことも含め未完という題とのこと。福沢諭吉に続き、第2章は中江兆民を扱う。兆民と西郷を語る第3項として参照されるのはルソーで、全体意思と一般意思の閾を越える手続きとは他者との対話であり、両名はそこに儒教的道徳の必要性を感じていた点で通じ合うものがあったとの論旨。

そういえば、西郷は征韓論によって大アジア主義と結びつくし、三酔人経綸問答でも豪傑君の大陸進出論は両極の一方だとしても極に寄っているという印象だったけれど、それは戦後スキームからの見え方で、当時の(西洋的な)国際政治感からするとそこまで野蛮でもなかったのかも知れない。と、アレントの革命についての冒頭で戦争の正当化についての小史を読んで思う。戦争が政治にとって本当に破壊的なものとして認識されるようになったのは、殲滅戦の始まる第一次大戦後から。