インフラ・家電・ソフトウェア

長嶋有の「電化製品列伝」を読み始める。始めの節のセンセイの鞄における乾電池についての読解と所感がとてもいい。当作品は未読なのだけど、恋愛関係になる2人の出会いの空気感の表現力とその読解に合わせて感銘を受けた。

長嶋氏は私より一回りくらい上の方で、私より下の世代はいわゆるデジタルネイティブとしてモノではなくデータの世界を身近に感じ感興を共にするだろうから、何となく過渡期の家電製品というものに哀悼も含めた感情を抱く。自分が子どもの頃は家にあったが、自分が家を持つ頃には特に存在感がないモノたち。一方でデータの世界についても10代の終わりからSNSに親しんだ世代としては(歳がバレる)語りたい気持ちもある。

Twitterを始めてはや10年くらい立ち、利用者の増加に応じてその様相や社会的位置付けも変わったが、私個人として距離を置いているのはその根本部分である、リアルタイム性への懐疑だと思う。文章を書くことがリアルタイムでなされることには、浅薄な思考のもたらす混乱とその影響の強さという悪影響を感じざるを得ない。ブログ、というもう少し頻度の少ない媒体へ回帰したのはそのせい。ITの仕事柄、仕事のなされるサイクルの持つ意味とそれによる意思決定の違いには敏感でいたいが、生活においてもそれを設計する必要かあるのではないか。とシリコンバレー的なことを言ってみる。