データサイエンティスト

私が食い扶持を得ている業界は、10年くらい前はブラック職場と言われることが多かったけれど、ふと気がつくと人材が足りない、外資系は高給がもらえるみたいな活況に見えることもある界隈だ。ある程度歴史を分かるようになると、汎用機からオープン化への置換えやインターネットの普及が一つの波で、その中でビジネスモデルが確立しないまま、前例がない仕事をした結果ブラック職場化した所はあったのではないか、と思う。10年たって企業たちがある程度ビジネスモデルを確立したところで、また大きくスキームが変わる。

まあその辺はどうでもよくて、データサイエンスに取り組むフランコモレッティの遠読を読んだ時に、趣味の世界に囲い込んだ文学研究とお金が欲しくてやってる実業が交錯したので少し驚いた。文学研究者になろうと真面目に考えた10年前に、例えば19世紀フランス文学のように、ある暫定的な地域の暫定的な100年をフィールドにしたとしても、そこに含まれる文学作品を全て読み切れることはないだろうなとは思った。ましてや表象文化全般を視野に入れれば、小説や詩だけ読んでいればいいわけではない。幻想文学のようにさらに領野を絞るならむしろ地域や時代を拡げるべきだろうけど、そうすると既存の文学部に着地しづらくなるだろうとも思った。求められる専門性と、拡がる興味の絞り込みのバランスが上手にできないという一般的な悩みとしか考えなかったけど、この著者が文学研究のアプローチとして、どう研究対象の量に向き合うかということを考えているのは新しい視点だと思う。時々ゲーテが出てくることから、自然科学と人文科学が分離していない頃を夢見ているんだろうと勝手に想像して共感する。そんな知は個体には不可能だとしても。

もう一つ、私が所属しなかった大学という組織も、90年代の大学院重点化と00年代の法人化という行政、あるいはカネに振り回された歴史を持つ。実業でなくても、方針に従ってカネが回るようにしなくてはいけない。学問はビジネスではないけど、ビジネスモデルがないと企業主導の経済世界ではやっていけない。